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BaBaQueと戦争

BaBaQue: Un poco de miedo

やんぐの衛生日記は事実上閉鎖してるも同然だし消してしまおうと思ってたんですが「BaBaQue」の発売も決まったことだし、あることないこと吐き散らす場所も置いておこうかと。

BaBaQue: Un poco de miedo

BaBaQue: Un poco de miedo という、ソロなんですがこれが「GEORGIA!」以来27年ぶりのソロアルバムということで、27年ぶりですってよ。おれ何長生きし過ぎとんねんと思いますわな。

BaBaQue: Un poco de miedo

昔戦争を初めて強く意識したとき「戦後27年」でした。自分にとって戦争は戦後27年目に起きたことです。そして当時それは昔の出来事でした。身近な戦争体験者がたくさんいて、何かにつけて「戦争の時はな」と聞かされていましたが年寄りが昔の話をしていると思っていました。

27年前の「GEORGIA!」から「The Vatican Sex Manual」をサンプリングしながら、果てしなく絶望的におれ何やってんねん感が襲いかかります。

戦後の民主主義は実は日本人にとって民主主義ではなく民主主義のような振る舞いを全体主義的に肯定していただけだと今は知っていますが昔は知らなくて、恐ろしい時代の気違いどもが10年か20年そこそこで反省し近代国家として生まれ変わったと無邪気にも信じていました。

それで「なぜ昔のアホどもは全体主義に溺れたのか」と興味を持ち、さらに「それを体験してみたいものだ、そのとき、自分もアホの仲間入りをするのだろうか、痛いのが怖いのでそうなるかもしれないな」と心配してドキドキしていました。

まさか21世紀に日本が再び同じ状況に陥るとはさすがに想像もせず無邪気なことです。現状、願いが叶い、アホどもが全体主義に溺れていく様をつぶさに見ることができています。面白がってるばかりではなく、やはり恐怖が伴います。その恐怖を表現することは自分にとって使命とかそんなもんじゃなく、恐怖から逃げるための防衛です。

戦争は恐怖ですがどういった類いの恐怖でしょう。国民などという幻想に踊らされた餓鬼どもが為政者のために殺し合いをする異常世界ももちろんそうですが、殺し合いに参加しないぼんくらどもも同様の幻想に支配されて殺し合いを肯定する精神状態に陥る狂気こそ恐怖の要です。全体主義とか国家社会主義とかファシズムとかいろいろ言われていますが自由を否定することを肯定する心理が社会に蔓延する絶望たるや一級品ですね。

BaBaQue: Un poco de miedo は悲鳴の一種でありますがもちろんカナリヤではありません。カナリヤは人より早く察知した悲鳴のことを指します。そういう意味では「欲情する機械」のほうがカナリヤ的です。BaBaQueはちょっとこわいだけのささやかな悲鳴であり、こういう音楽を好むひととの穏やかな共有を目指したヴィヴァルディ四季みたいなものです。意味分からん例えを出すなと。

BaBaQue-cover-2

映画「WAVE」ではファシズムのロールプレイを子供たちに体験させファシズムがどのように育まれているか示しました。これを見て判ることは、ファシズムの蔓延は突然始まるのではなく潜んでいたものが顕在化して極端に肥大化するということです。それは常に人にあり、簡単なきっかけで暴走します。

https://www.movieboo.org/archives/1485/the-wave-ウェイヴ

きっかけは何でもいいんですが、普遍的なファシズムの芽とは何であるかというと、これが実に明快に「自由への恐怖」であるという、これに尽きるわけです。当たり前に逆に言うと「自由を制限し服従することが快楽」であるということです。これは群衆のサガなのか、そうであるからこそ人は社会を作れたのか、単純ながら意外とここで躓いてしまうポイントです。

あれれ?BaBaQueについて書いてるのか自由の恐怖について書いてるのか区別が付かなくなってきたぞ。

Fear of Liberty – 自由の恐怖

つづく

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