反核対推進の闘いの戦術

余震と呼ばれる大地震がまだまだ頻発しており、これは群発状態の真っ只中にいると解釈したほうが良さそうな長期に渡る災害だ。
このような群発地震は過去に似たような記録があり、富士山の噴火と繋がっているというシナリオも十分予測できる。東海地震も射程に入った。というか地震の活動期だということは専門家も口にしているし。

原発の連続爆発から1ヶ月、電力会社、政府、メディアの悪の枢軸トリオは安全デマの拡散とデータ隠蔽に明け暮れ、ここに来てようやくレベル7を認定し、場合によってはチェルノブイリを越える被害が出ることを公にした。今ごろ何言ってんだ。
呆れかえるその態度はまさに犯罪者、国際的な核テロリストと言っていい悪辣ぶりだ。あまりの悪者っぷりにめまいがする。

日本の政治システムが旧ソ連と同様であることは石井鉱基の告発以降知れ渡ることになり、今回も自他共に認めるソ連以下レベルの対応をしてきたのであるが、海洋汚染からこっち、事態はもはやソ連レベルではなく常軌を逸した独裁国家並みの下劣さである。その非道っぷりに吐き気が止まらない。

さて反原発、反核の動きだが、都道府県の知事たちが国と電力会社に安全を求めるとか、市民がデモを行うとか、そういう普通のレベルに未だ留まっているのも驚愕と言える。
安全デマをまき散らす支配者層や一部の馬鹿が「パニックを防ごう」なんて言っていたが、今パニックじゃなければどういうときにパニックを起こすのだという話だ。この非常事態におとなしくお上の言うことを聞く飼い犬のような態度は一見冷静に見えるかもしれないが実はただの腑抜けである。
あるいは心理的パニックに陥っているがために安全神話にすがろうとする宗教にハマった浅ましい下人の姿なのかもしれない。

ま、そんなことはともかく、反原発の動きが未だ小さいまま広がりにかけるのが何故かということを分析したい。
反核の主張は実は30年前から何も変わっていない。30年前から事実が何一つ変わっていないためであり、主張や思想が一環しているためでもある。そして熱心に勉強した知識と正しいデータに基づく正論を展開し、ほとんどにおいて反論を封じ込めることが出来る説得力を持っている。話を広げすぎたり過度のナチュラル思想にハマるなどといった弱点もあるのだがここでは反核部分に限った部分だけに的を絞り枝葉は除外する。
つまり反核の主張は正統なのである。

これに対し推進の主張はやや異なる。彼らの思想的背景は判らないが、基本的に無知な人間を騙くらかすことが主な目的となる。そのため理屈は屁理屈にしかならず、議論しても浮ついた詭弁しか出てこないし、やることなすことすっとこどっこいで想像力の欠片もない。
両者の闘いは30年前から同じ事の繰り返しでだらだらと続いている。で、結果的には勝者は推進であり、反核は完敗しているのだ。

何故か。

正論対正論を封じるという構図が全てを物語っている。反核の主張は、その主張が正しいが故に簡単に粉砕されるのである。
細かなデータを元に正統な理屈を苦労して並べ立てたあげく、冷笑と共に大嘘と全否定という二つの極端な強弁の罠に引っ掛かり砕け散るということだ。

正しいことは大きな嘘と全否定には到底かなわないのである。例えば戦時中、詳細なデータを元に日本が敗戦するという声は粉砕され「神風が吹くから」という大嘘の前に完敗した。あるいはもっと身近だと例えば国会中継で共産党議員の質問を見れば誰でもわかるだろう。スパイすれすれの人脈を駆使して集めた詳細データを元に国会で鋭く質問する共産党議員、だがそれに対する答弁はのらりくらりと無関係な話で逃げ切る。しつこく迫るとニタニタ笑って他所を向き「ま、共産党が言ってることだから」と小馬鹿にして終わる。個々の質問にまともに向き合えば必ず論破されるので、大きく冷笑して全否定するという戦略を取るのであるがこれがもう効果絶大。

例えば頭の切れる人に1時間くらい何か賢いことを喋ってもらい、その後でアホのふりをしながら「でもお前の母ちゃんでべそだよな」で全て終わるのと同じ理屈だ。

反核の連中は30年間変わらぬ真面目な態度のまま突き進み主張に変化はなく、まんまとこの戦略に嵌ってしまって常に完敗するというそういうことの繰り返しをこの非常事態にまだやっているということだ。
いやこれは反核の連中を貶してるんではなくて、そういう攻撃にさらされていることを自覚したほうがいいという話だ。

推進の攻撃は反核に対しては冷笑と全否定、知識のないニュートラル層に対しては大嘘と宗教で責める。
大嘘と宗教については連日の安全デマとそれを鵜呑みにする信者たちを観察していれば誰にもわかるので詳細は割愛するが、反核も負けじとニュートラル層の取り込みに躍起になる。

ここでも注意が必要だ。正しいデータと正論はもちろん大事だが、それだけではニュートラル層は動かない。そもそもニュートラル層は基本阿呆なのであまり理詰めで迫ると「何この人キモい」と思われてお仕舞いである。この辺はかつての小泉クレジット選挙の時のことを思い出さねばなるまい。反核の正論より推進の大嘘のほうが耳障りが良くて単純明快で阿呆に支持されやすいのである。

しかも阿呆と言えばテレビ漬けあるいはテレビ的ネット漬けであり、テレビや新聞や一部ネット世論はご存じの通り推進の広報部隊だ。これでは勝ち目はない。
地道な説得の旅で少しずつでも知識の広がりを企てる以外に手はないが、最早そんな悠長なことを言ってる場合ではない。

ではどうするか。

実は事故後の「煽り」や「危険」の連発、所謂パニックを煽るなということで攻撃された一連のヒステリックな対応こそが反核の逆転チャンスだったのである。
つまり危険を大袈裟に騒ぎ立て、パニックを煽り、逃げろ死ぬぞと大合唱することが、これまでやられっぱなしだった推進の戦術と全く同じ強弁と単純明快なメッセージによるニュートラル層の獲得に繋がる起死回生のB層作戦だったわけだ。

「大袈裟な危険」対「出鱈目な安全」の一騎打ち、完全に互角の勝負だ。しかし残念ながら推進が一枚上手だった。「パニックを煽るな」の一言が反核の戦術を萎えさせた。もともと阿呆のフリが得意でない真面目な反核の諸君は全く同じ意味である「安全を煽るな」と言い返すことが出来ぬまま慎重姿勢に突入してしまった。片方は相変わらず嘘と出鱈目に満ちた安全教の布教に努めながら、敵対勢力に対しては「いい加減なことを軽々しく言うな」と釘を刺し、B層作戦が自分たちが独占する戦術だと印象づけたのである。さすがだ。

こうして嘘と強弁に対抗できるはずのパニックと恐怖は押さえ込まれ、1ヶ月に渡るデータ隠蔽と安全デマの拡散に立ち向かう術もなく近隣住民は被曝し続けたし今後も被曝し続け、暗い未来を背負ってしまった。

この後予想される展開はそんな中でコツコツ頑張ってきたジャーナリストや真っ当な学者たちの危機だ。
これまでの経緯を踏まえると、彼らに対する攻撃がそろそろ始まる頃だ。仕事と無関係な誹謗中傷、プライベートや他の分野の仕事での失敗の拡散、カテゴライズによる全否定、偽情報を掴ませ恥をかかせる作戦、あるいは先人たちのように捏造で犯罪者に仕立て上げられたり仕事を奪われたり下手すればこっそり死なされたりするかもしれない。十分に気をつけてもらいたいところだ。

方や相変わらず放射能は安全、チェルノブイリは大した事故じゃないなどのデマ拡散は止めどもなく広がり続け、海外からの情報を遮断したり否定したり、レベルの低いヒューマニズムの横行で目を反らしたり、煙草や酒やパチンコや自販機やエロ本などといった共感を得やすそうな小さな敵を庶民に与えて巨悪に目が向かないようコントロールしたりといった阿呆阿呆作戦は庶民に浸透し、有事らしいファシズムが着々と完成されていくのである。

あな恐ろしや。

阿呆阿呆作戦については原発に限らずファシズムのおもしろい話なので昔「かっこわる症候群」や「ざまあみろ症候群」でも書いたけどまたそのうち書くつもり。
小さく雄叫びをあげつつ地味に子供クーデター進行中。