とめ、失明する

一時は肝臓で死にかけて、みんなが最後の挨拶にわざわざ我が家に来ていただくほど深刻な状態だったものの、ミラクルを発揮して蘇り、その後何年も幸せ一杯に暮らしたとめですが、20歳まであと少しという2018年秋のこの時期に突然失明しました。

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呼びかけてもあらぬ方向を見ていたり、いつもなら真っ直ぐに見つめ返す瞳が妙にぽかんとしていたり様子が変になって「痴呆症来たか」と思っていたけどどうやら見えていない様子。昼間に瞳孔が開きっぱなしになっているのを確認して失明を確信、よーく見ると瞳の奥が充血しています。

とめ2018年10月
とめ2018年10月半ばに失明

病院で失明を確認し、血液検査を行うと先生曰く「内臓は驚くほど正常値!」ということで、高血圧による目の奥の出血が直接の原因っぽいのだとか。そしてその高血圧の原因としては、心臓か脳かどちらかではないかという疑いで、それ以前に高齢だからというのがもちろんあります。いずれにしろ、気をつけたり、あるいは覚悟をしなければならないことを理解します。

目の奥の出血はむしろ幸いだったと言えます。同じ事が脳のどこかで発生していればコロンと死んでいたということですからね。

失明したとなると、どうしても人間目線で可哀想可哀想と思いがちですが、人間が視力を失うことに比べれば猫のダメージは少ないようで、不憫で可哀想と強く思うその気持ちは実は己自身に向いているのだと自覚します。もうこっちを見上げたり動きを目で追ってきたりじーっと見つめてくれることは二度とないのだと、悲しいのはとめではなくこちら側です。

目が見えなくなっても鼻と肉球と髭で何となく動けています。そもそも猫の記憶やアイデンティティは人間と全然違うので「こないだまで見えていたのに今は見えない」みたいな記憶による過去と現在の己の立場の比較などしないはずです。今を生きる。過去との比較などない。それだけです。

目が見えなくても伊集院球三郎のように目明き以上に力を発揮するやつもいる。心眼猫パワーで全てを見透かし乗り切れ、とめ。