夭逝の傍証

第五章 賢者の章

家には誰もいなかった。私は宇宙の棚についてあれこれ考えながらソファに横たわった。室内が白濁して見える。ここも存在感が少ないと感じた。だが白濁しているのは、ほこりのような小さなものがたくさん宙を舞っており視界を遮ってるせいだとすぐに気づいた。なるほど。空飛ぶ円盤はこんな身近なところにもいたのだ。この小さな細かいものを、今までは何ということなく見ていたが、実は空飛ぶ円盤だったのだな。では、宇宙の棚とやらも同じようなものなのだろうか。生も同じようなことなのだろうか。
生が死を内包しないのは確実なのに、私は空洞の腹に水晶発振子を携えてこんな所で何をやっているのだろうか。
「疎の具合はどうだね」
いつの間にそこにいたのか、飼い犬の阿呆が偉そうに私の肩に手を添えて言った。
「おお。阿呆ではないか。お前、犬のくせに天使だったのか」
「天使などいない。わしはゴールデンレトリバーの阿呆だ」
「でも私をあの世へ送ってくれるんだろう?」どう考えても、そろそろお迎えが来る頃である。そして今の私は切実に賢者を求めている。
「あなたに死は訪れない。あなたは今、疎である」
その言葉を聞いて私の弱気は吹き飛んだ。
「ははあ。生でもなく死でもない状態を疎というのだな」私はにやにやして阿呆に言った。「新しい知識として私に回答をしてくれているのだな」
阿呆は黙っている。
「だが飼い犬の阿呆よ。お前はやはり阿呆であった。疎などという概念を持ち出してご主人より優位に立とうとしているようだがそうはいかない」
「えっ」阿呆は驚いている。反撃されるとは思ってなかったのだろう。
危うく言いくるめられるところだった。私が賢者を求めていることにみんなが気づきだし、こともあろうに飼い犬の阿呆にまで賢者面されてしまったのである。
「お前が賢者だという設定自体は悪くはないのだが、しかし力量不足のようだったな。疎などとは畜生に相応しい下劣な発想だ。私の死はそんな言葉では片づけられはしないぞ」
阿呆は私の指摘に少し傷つき、本来の犬に戻って床にべたーっと寝そべった。
そう。このような姿が阿呆には似つかわしい。
と、そこへ一人の子供が現れた。息子だ。
「おとうさん帰っていたの。めずらしいね」息子が私を見て言った。
「息子よ。今はここにいるがもうすぐお別れだ」
「あのね。おとうさん」私の言葉を聞かず、息子は生き生きと喋りだした。「さっき道で変なおじいさんに会ったよ」
「待て待て」私は遮った。また賢者面が一人現れたのだ。「その先は聞きたくないよ。どうせ、おじいさんとの不思議な会話をありがたいお話として私に聞かせるつもりだろう」
「えっ」息子は絶句した。図星だったのだ。
「もういいから、外で遊んできなさい」私が命じると息子は本来の子供に戻って家から出ていってしまった。
次はいよいよ妻が賢者面して現れるはずだ。よし。いつでも来い。私は妻の帰りを待った。