沖縄にやってきた

顔が腫れぼったくて息が苦しいのは神経症の初期症状なのか。

絶えず口に何かが入ろうとしている気分だ。
そして水ばかり飲んで膝の痛みに耐えているとふと思い当たるところがあり沖縄へ旅立つことにしたのである。

頭痛と眩暈に耐えて飛行機の窓から沖縄を見下ろすと、南アメリカ大陸の形をした沖縄大陸が目に入ってきた。

いよいよ沖縄か。
沖縄に来るのは二度目で、前に来たときは台風の時期と重なり、泥と化した浅瀬で船が停滞して往生したものだった。たまたま乗った船が四輪駆動なので何とか泥底に飲まれずに済んだのだがあの時死んだ従姉妹のことを思い出すたびに胸に溜まった水が沸騰するかのような苦痛を味わうのである。
従姉妹は船の切符を間違えて買ってきたことを最期まで気にしていた。
「私が間違ってこんな時間のこんな船の切符を買ってきたばかりに皆様には大変ご迷惑をおかけしました。謝罪しても罪は消えませんがこの困難を乗り越えた後にはきっと皆様があっと驚く方法で罪の償いをいたしたく」
あっと驚く方法が何であったのか今となっては想像することも出来ないが従姉妹の遺品の中にヒントらしきものが幾つかあったようだ。

ヒント1。コアラのマーチ

飛行機が沖縄駅についた。沖縄駅は沖縄大陸の最北部の雪深い小さな村の一画にあり、南端のビーチへ行くには中央沖縄山脈を大きく迂回する路線バスに乗らなければならない。
バスの待合所は沖縄駅の無人改札を抜けたすぐ左側にあり、三人の年寄りが木製の古いベンチに腰掛けて談笑していた。三人ともが老人用無料診察定期券を手に握り締めている。バスに乗って診療所に行くのだろうか。だが、バスが山脈を迂回して次の町に到着するのに丸一日かかるのである。
それともバスの待合所を診療所の受付けと勘違いしているのかも知れない。
あるいはまた別の理由があるのかもしれない。

ヒント2。洞見葉のお守り

「あんた、ここでバスをまってるのか?」老人のひとりがふいに訊ねた。
「時刻表を見た?」もうひとりの老人が訊ねた。
「こんなところで何をしてるんだね」哀れむようにもうひとりの老人がつぶやいた。 待合所と診療所を間違っているようなぼけ老人にそんな事を言われる筋合いはない「ええ。バスを待ってるんです。貴方達こそ何をしてるんですか。バスを待ってるのではないのですか。それとも、ここを病院の受付けだとでも思っておられるのですか?」
そういいながらも何気なく壁を見ると大きく時刻表が貼り出されている。

6:00~11:00 瀬底行き 5分間隔
11:00~14:00 国際通り循環 15分間隔
14:00~19:00 内科
19:00~21:00 外科
21:05 慶良間行き
最終21:30 泌尿器科

しまった。もうバスは走っていないのだ。しかもここは病院だ。

「しまった。もうバスは走っていないのか。しかもここは病院だ」
「やっと気づいたか。今日はバスは来ないのさ」
「最期の診察が終わるとここのストーブも消されるよ」
「今夜は冷えるから、どこかに宿をとったほうがいいんじゃない?」
老人だと思っていたがよく見るとそれほどの年寄りではない。格好が地味なので老人に見えただけだったようだ。もちろんぼけているわけでもなくしかも親切に言葉をかけてくださったのである。猛烈に反省し、我が身を引き裂きたくなった。
「どうした旅の人。何を泣いている?」
「泊まるところがないのなら、うちに来ればいいよ」
ああ。以前にもこんなことがあった。そうだあれは。

ヒント3。草鎌之酒温泉

あの時は大浴場にいたのだ。従姉妹が、必死に言い訳のようなことを言っている。「環境が変わったからです。だから、動機から行動にかけてのパターンが変化したんです」そりゃあそうだ。もっともだ。
だがあの時もっと真剣に聞いてやるべきだった。
「まるで、私が死にかけてるとでも言わんばかりの、変化と集中です。そんなに急いでどこへ行くって感じ」

沖縄駅から洞見葉までは徒歩で三十分かかった。親切な老人たちの好意に甘えるわけにもいかず、洞見葉のマジックカートに乗ることを選んだ。
洞見葉の住職は最初マジックカートを貸すことを拒んだ。ケチだからではなく、傀儡であると思われるのを避けたかったからである。
「マジックカートを借りたからといって、決して住職のことを傀儡だなんて思いません。恩に着ます」
「そう思ってくれればわしも嬉しい。むかしはこんなことを気にせずに平和に暮らせたものだった」
「昔、って沖縄が独立していたころですか?」
「そうじゃ。あの頃はマジックカートと政府とはなんの繋がりもなかった。子供たちは洞見葉から読谷村までの長い坂を数え唄を歌いながら一気にかけ降りたものじゃ」
「数え唄なら知っています。『とうけんようのいちはてっぽうのごとく』ってやつですね」
「旅の人、よく知っていなさるな。あなたのご先祖はもしかすると沖縄の人だったかも知れませんな」
だから従姉妹がこの唄を歌っていたのだろうか。

マジックカート

マジックカートに乗るのは初めてだった。
噂では、マジックカートに乗ると存在が逆流するという。どういう意味なのだろうか。従姉妹が生きているとき、一度霊魂について質問されたことがある。
馬鹿馬鹿しいから放っておいたのでどういう質問をされたのか全く覚えていないがちゃんと聞いてやるのだった、あの時も。
存在が逆流すると何もかもがはっきりわかるのかも知れない。
だが存在が逆流した後でさえ、現在の感覚を失ってはいないのだろうか。ひょっとすると従姉妹の記憶すら消えてしまうのではないだろうか。
不安のためまたもや咽喉が渇く。
だがもう躊躇している暇はない。雪が膝まで積もってきたのだ。このまま凍死してもよいができれば凍死しないほうがよい。
マッチ箱を懐から出し、最期の一本でマジックカートの動力に点火した。

手がかりが消える

山脈を迂回する長い国道の中ほどにある草鎌之酒温泉は見事に寂れきった温泉町だった。国道を旅する人間など滅多にいないから、この温泉町の存在さえ一般には知られていない。さぞ素晴らしい秘境だろうとわくわくしていたのだが期待に反してどうってことのない温泉だった。
「へえ。マジックカートとは乙なものに乗ってるじゃねえか。それに乗ってビーチまで行くのかい。よいないよしない。馬鹿にされちまうぜっ」
温泉旅館の大将がべらべらと喋りだした。「そういや、マジックカートに乗ると存在が逆流するって噂だが、何馬鹿なこと言ってんだろね。逆流するのは昨夜食ったクサヤだけだって。なんてね。がははは」
何がおかしいのかさっぱりわからないが、とにかく存在が逆流しなかったのだけは確かだ。ただのくだらない乗物だった。
そして草鎌之酒温泉もただの温泉だった。
従姉妹の残したヒントが低俗の波に呑まれて消えていく。

翌日は早朝に出発した。
マッチがなくなったのでマジックカートを乗り捨て、ちょうどやってきた路線バスに乗り込むと昨夜の親切な老人三人組が乗っていた。
明るいところでよく見ると老人ではなく子供たちであった。なぜ昨夜は老人に見えたのだろう。
「あ。きのうのひと。マジックカートにのったんだね」
「ねえねえ。存在が逆流するときってどんな感じ?」
「おならぷーっ、って感じ?」
馬鹿か。
「おにいちゃんというものに憧れていたわ」従姉妹はよく言っていた。「でもお兄ちゃんのいる友達はお兄ちゃんなんて憧れるようないいもんじゃないって」
そりゃそうだ。もっともだ。

そしてビーチに到着した

ビーチには強い日差しが照り付けていた。だが海水浴客は一人もいなかった。海岸に原子力発電所が出来ていたからである。
煙突から数分ごとに小さな茸雲が上がり、付近の海水から時たま爆音とともに水柱があがる。砂浜には朽ちたドラム缶が無造作に捨てられ、そこにビビンチョ蟹が群がっていた。
蟹に話しかけるわけにもいかず、しばらくじっとしていた。
もうしばらくじっとしていた。

咽喉が渇いてきた。いよいよ困ったことになったわけだ。
従姉妹の思い出はもうない。思い出すための風景ももはや沖縄にはないのである。それを明確にするためにはるばるやってきたのかも知れない。だとしても、誰かに指摘されたいものだ。
前の台風のことを考えてみる。従姉妹に間違った切符を買わせた奴がいちばん怪しいのではないか。

仮説1。糸の端を氷付けにしてアリバイ工作をした。

仮説2。時計を見たフロントマンが蟹星人で二進法だった。

仮説3。子供だから容疑者のリストに最初から入っていなかった。

さあ。犯人は誰だ。

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