始まりと終わり

始まりと終わり その2

バンマスは芸術活動のひとつとして演奏をしていたので、とても音楽とよべるような楽曲ではなく何というか、舐めきっているバンドだった。

その証拠に株式会社子供革命社を設立して芸術マガジンずべこばらを創刊したり自転車を盗んで逮捕されたりアパートの天井が落ちてきたり高校を中退したり鼻血を出したりそんなことばかりしていた。
チルドレンクーデターはペースの緩い活動をしていたのでバンマスは暇をもてあましていたのか他のバンドも作ったり参加したりした。

「さなぎ」というレゲエバンドに参加して上京したのもそんな最中だ。変態芸術家が参加しているとは思えないコミカルパンクレゲエ歌謡のバンドでこちらはキャッチーだったので人気もあり楽しいものであった。だが内部では「歌謡曲」と言って小馬鹿にしていた。

リーダーのたけ丸がある日思い詰めてゲルニカの戸川さんに告白した逸話は有名だ。

たけ丸「じゅんちゃん、おれな、自分のこと好きやねん」(自分、というのは大阪弁であなた、という意味)
戸川さん「そう。それはミュージシャンとして、とっても大事なことだと思うわ」
たけ丸「・・・」

六本木のテレ朝の裏のマンションに居着いていたのでタクシーで「テレビ朝日まで」というとたいてい若手のお笑い芸人かなんかだと思われた。そこでたけ丸は芸能人ごっこを思いついて、芸能人の振りをして騒いだ。馬鹿馬鹿しいが度が過ぎると割と面白くなってきた。だが本来お笑いというよりも怖い系だったのでミントバーで喧嘩などをしてしまうのであった。その時期は貧乏なので上野の美術館にベーコン展を見に行ったあと、歩いて六本木まで帰ってきたりしていた。

さなぎはバンマスとタバタミツルが初めて一緒になった記念碑的なバンドであった。

世界一色っぽい歌声のふーせんをボーカルに据えたシンセとホソイベースによるアンニュイトリオ「ガーデンイール」を作った。ガーデンイールは短命だったが非常に印象に残ったバンドだった。あまりにも斬新でアンニュイなので、ある人が細野さんに聞かせた。

「細野さんは何て言ってた?」ミーハーバンマスが尋ねた。
「うむ。良い、と言っていたよ」
「それで?」
「・・それで?」
「何かないの?」
「何かて?」
「いいです、ありがとうございます」
その後ふーせんは早熟すぎてどこか遠くへ行ってしまい、シンセの伊月君はチルドのピアニストと結婚して徳島に帰ってしまった。

このとき細野さんに聴かせたのがのちのち世話になる藤井悟そのひとであった。

藤井悟とバンマスホソイの出会いはロマンチックだ。高田渡の義弟である松村さんが経営していた「むい」というブルース喫茶に入り浸っていた不良銅駝高校生徒のバンマスどもは80円のトーストでむいに10時間粘る気違いであったが、このとき藤井悟もむいの常連で、クソガキのバンマスどもは影でこそこそと「あの人の髪、ごっつ長いな」「すれ違ったらほんのりいい香りがしたで」「しゃがんでうんこしたら先っちょに付着するやろ」「せやな」「えらいことやな」と井戸端会議をしていたのだった。

そのころ、バンマスのむいノートがむいの常連たちの間で話題になっていたそうで、こっちのほうこそ噂されていることなど夢にも思っていない馬鹿者たちであった。

そんなこんなで後に藤井悟と仲良しになったチルドレンクーデターのバンマスは、カセットブックの時に佐藤薫、今野裕一、藤井悟の三人にたいへんお世話になったのであり、若さ故ちゃんとお礼を言うことも出来ず恩を返すこともできず、うんと後にそのことに思い当たって胸騒ぎが止まらなくなり一時死にかけたという実にちっぽけな心臓の持ち主であることが露呈したこともあるという。話を続けよう。

「ガヒ」は勝野タカシとホソイのデュオ。下品やかましい出鱈目テクノパンク土人けんすいなどが入り交じったハイパーダダユニット。主な活動はほとんど犯罪行為。これはかなりの歪さと格好良さを持つ、ちょっと凄いユニットであった。サウンドコスモデルという世界の変態ショーみたいなアルバムにも参加させてもらった。

和製風の「のいずんずり」はドラムの郁子ちゃんが脱退した後ニューヨークへいくまでのほんの数回参加した。もちろん郁子ちゃんの代わりだからしてバンマスは女装してドラムを叩いた。大まじめなのである。

バンド名は忘れてしまったが宴会学際系の歌謡曲バンドがあった。オフマスク00の秋井、アマリリスのアリスセイラー、ボアダムズの吉川、タマポチの磯ちゃんなどとの合体バンド。吉川の歌う「時の過ぎ行くままに」は涙なくしては聞けない優れものだった。これはほとんどイベント用のユニットで、ただ面白いということのみを動機にやっていたのだった。

「ハナタラシ」のアイちゃんが新しいバンドを作るというので、当時レニングラードブルースマシンをやっていたタバタミツルとチルドのホソイが呼ばれ再び組んだ。これにドラム竹谷が加わりボアダムズというバンドができあがった。ハードロックみたいな基本の曲に、勢いのあるキメ、それにアイちゃんのぎゃーっていうボーカルが格好良かったと言えば格好良かったのだが、なぜ人気バンドなのかは当時よく判らないでいた。その後、リハーサル嫌いのバンマスとタバタが頻繁な練習を面倒臭がり始め、また、ボアダムズを第一に考えるということをしなかったこともあり、しばらくするとクビになってしまった。

最近になっても若い子が「ボアダムズのオリジナルメンバーだったんですってね。すごいわ」などとバンマスに憧れの眼差しで語りかけてくるが、偉くも凄くもないのである。

ボアダムズがすごくなったのはホソイとタバタが抜け、ヨシミちゃんが参加しだした頃からだ。よしみちゃん最高。アイちゃん天才。ヨシミちゃんはチルドのゲストでトランペットを吹いて貰ったり、近所だったので週に1度以上天下一品の本店でラーメンを食うイベントなどを続けた。彼女の才能と人間の良さは半端じゃない。ヨシミちゃんが参加してからボアダムズは天下無敵の最強ユニットとなった。「おれをクビにして大正解!めちゃ素晴らしい!」と純粋ファンになった当時のバンマスである。

チルドの最初の首謀者ゴローがつくった「バーベキュードッグズ」はこれまたかっこいいロックバンドだった。キャプテンビーフハートとレッドツェッペリンを足して割ったようなそれはそれはロックの鏡のようなロックバンド。この頃バーベキュードッグス用に作った曲はチルドレンクーデターでも一部続けている。何かにつけゴローがきっかけを作り飽きて辞め、その後ホソイが引き継ぎ続けるというパターンを見逃すことは出来ない。

安田憲一ヤスケンこと安田くんのタマスアンドポチスにバンマスは一度だけお手伝いで参加した。
タマポチもキャッチーな名曲揃いで、作曲の磯ちゃんの才能がうかがえるというものだ。
この路線は後にモダンチョキチョキズが踏襲して人気を博した。

とまあこのようにいろいろなバンドを作ったり参加したりしているうちに誰がどのバンドのメンバーかわからなくなってきた。関西系のそのあたりのバンドマンを「単体アメーバ」と称して居直ることになった。

単体アメーバから10年近い年月が流れたある日、筒井康隆氏の宴会に参加、筒井氏クラリネット、私ベース、そして福岡在住の音楽家生方則孝氏のトリオ演奏がどういうわけか有馬温泉で行われた。驚くべきトリオだが、これがまさかチルド復活の伏線になろうとは。

つづく

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