[Report] BaBaQue & Diffraction レコ発パーティ 事後報告

2018年9月22日BaBaQue & Diffraction レコ発パーティは無事終了しました。
ご来場、お買い上げの皆さま、ありがとうございました。
この日起きた事件について解説します。

 

本稿はライブのレポートとなります。

BaBaQueモード

ホソイヒサトソロBaBaQueモードで開幕しました。新発売のCDからのそこそこの再現曲を引っさげ、この日のために仕込んだ新しいビデオと一緒にひとりで奮闘します。
最後の最後にはWADA THE VAMPIRE!とアリスセイラーを唐突にゲストに迎え、胃もよじれる激しいノイズで会場を震撼させました。

ここで使用されたビデオは近いうちに一部公開しますので続報をお待ちください。

試しに一つビデオ置きます。ライブで使用した者を編集してサンプル曲と合わせたもの。

こちらからどうぞ Lost Squid – BaBaQue 70sec PV

Diffractionモード

続いてSingū-IEGUTIのトリオによるDiffractionモードです。フリーインプロヴィゼーションですが時にジャジーであったりアンビエントであったり盛りだくさん。

今宵、誰かがすべてを語る

2018-09-22-slice

そしてトークショーのふりをした「今宵、誰かが」です。本日のメイン出し物と言っても過言ではないこのセッションタイムでは前代未聞の技法が取られました。即ち、スロットゲームです。

佐藤薫、ホソイヒサト、家口成樹によるCD新発売のトークから始まり、トークが続くであろうと思っていたお客さんはゆっくり立ち上がりいきなりスロットを回し始める佐藤薫に驚愕します。

ここで使用したスロットは登録ユーザーの皆さまに公開しています。回して遊んでください。登録ユーザーだけですいません。新規登録はこちらから。

slot
スロット 

スロットセッションのルールと解説

基本ルール:スロットで当たった人が演奏します。

当たった人には拒否権もあります。スロットを回す人をプロンプターと呼びます。いつスロットを回すのかを判断して実践する権限があります。

色物か現代音楽か

スロットセッションはただの受け狙いの色物でしょうか。いいえ、そうです。いや違った、そうですがそうでもありません。これはゲーム理論に基づいた偏執狂的現代音楽批判であり音楽に油断しているミュージシャンへの批判でありインプロヴィゼーションによるインプロヴィゼーション批判即ちメタインプロの実践でもあります。

コブラ

インプロヴィゼーションとゲームと言えばジョン・ゾーンのコブラを思い浮かべる人も多かろうと思います。コブラでさえ絶対的権限を持つプロンプターによる支配があってこそ成り立つ所謂「ちゃんとした音楽」です。ゲリラシステムもありますがそれは味付けであり、ゲリラを許容するのもまたプロンプターの判断です。ゲーム理論に基づいているもののコブラはれっきとした現代音楽の実践であって、色物でもゲームでもありません。

スロットセッション

「今宵、誰かが」のスロットセッションではプロンプターに本来の意味を取り戻させることから発想がスタートしました。つまりプロンプターはただ単に舞台袖から進行を円滑に進める裏方さんであり絶対的権力者ではありません。スロットセッションでのプロンプターはスロットを回す人です。

スロットセッションは権力者を廃し「ちゃんとした音楽」の破壊によって新しい音楽を創造する試みであり、尚且つ受け狙いの色物です。色物であることこそが現代音楽批判であり音楽家批判でありインプロによるインプロ批判なのであります。

プロンプター

プロンプターは独裁者ではありませんがスロットを支配することで神の領域に近づきます。スロット結果が気に入らなければすかさずまた回します。今起きている音楽を終わらせるためスロットを回します。プロンプターはスロットを回すことによってセッションの発生と終焉をコントロールできる神でもあり、誰でもなれるただの手の空いた人でもあります。

民主主義

これは民主主義のメタファーでもあります。独裁者はいません。神の領域に近い権限を持つとしてもそれは役割のひとつであり民衆はだれでもいつでもその仕事に就けます。誰でも神になれます。音楽家はプロンプター支配下で小さく生きるのではなく、セッションのセットという社会で己の役割を全うします。

セットリーダー

スロットで当たった人が音楽を演奏しますが、このとき、3つ並んだスロットのうち真ん中に出た人は自動的に「セットリーダー」の役割を与えられます。セットリーダーはそのセットを司る権利を持ちます。権利を持ちますが必ず司らなければならないということではありません。基本はフリーのセッションですので誰からの指示も受けません。しかし時として「おっと、何しよう、困ったな」となる瞬間がやってきます。このスロットセッションではスピードというものが重視されますから、もたもたしていたら「何してんねんアホンダラさっさとええ音楽やらんかい」と共演者にギターでどつかれたりシンバルを投げられて首が取れたりします。そうなってはいけませんので、その一瞬の困ったときにセットリーダーが音楽を提供し他の音楽家がそれに追従します。これは支配ではなく優しさです。

人間の社会

これは人間存在のメタファーでもあります。人が社会を作ることそのものを体現します。基本は、自由に何をやってもよろしいということになります。自由を縛るものは何もありません。しかし時として熊に襲われたり災害の被害に遭ったり急な音楽に戸惑ったり、そういう困ったときに弱き者を助けて人間という種そのものを守ります。これが社会です。困ったときに困った人を助ける以外に社会の存在する意味はありません。一匹ずつでは弱すぎる人間や音楽家という動物は社会やセットを作り守り合うことでかろうじて生存を維持することができます。

例外措置

あらゆる物事には例外があります。ルールにも例外があります。スロットで当たったとき拒否することもできるし、セットを交代してもいいしそのまま続けてもいい、他の誰かを引っ張り込んでも良いし最悪スロットなんか無視してもいい。すべて音楽家に委ねられます。自由を縛るものはなにもありません。

とはいうものの、例外措置はあくまで例外措置、まずはルールに基づいてお客様にもルールを飲み込んでもらい、やがて慣れた頃徐々に乱れてくるという流れはショービジネスの基本として十分に想定内のことでした。

実践

普通のミュージシャンなら想定したようにまずはルールに基づいて様子を見ながら粛々と進行をさせていくことでしょう。乱れるのは「乱れる」という表現の実践、即ち「乱れていない」という状況をまず作ってから徐々に乱れていくというセオリーに従うものです。しかし出演ミュージシャンを舐めていてはいけません。

今回集まった魑魅魍魎たちは自由を桁違いに実践するモンスターたちであり全ての常識は通用しません。開始早々一発目から例外が発動し、いきなり客席から乾純を引っ張り込んで激しいインプロとなる乱れに乱れる序盤の展開となりました。その後も例外は発動しっぱなしで、スロットは回っているもののそれに何か意味あんのかという状態に陥ります。あまりの出来事にPAも呆然、ネタを仕込んでいたアリスセイラーの指示を忘れてしまい、怒りのアリスセイラーは矢継ぎ早にスロットを回しまくります。一見まじめそうなSingūはすでにへべれけのへろへろでギターアンプに抱きついて離れないし、そもそもスロットを見もせず客席で酒を飲んでるだけのフランス文学者もおります。

最後のルール

しかし、とは言っても優秀な音楽家の集まり、最後の最後はしっかり大盛り上がりを果たし、エンディングがびしっと決まります。決まりましたよね?見てましたか?終わりよければ全てよしです。会場は盛り上がり、セッションは終了しました。

スロットセッションでは最後にひとつ追加のルールがありました。「プロンプターが手を上げてから下ろせば音楽を終わらせる」がそれです。何と、ここだけは見事にルールに則って締めとなりました。

BaBaQue & Diffraction レコ発パーティ

レポートは以上です。このページの内容はしばらくの間は更新されたり画像が追加されたりするかもしれませんので時々更新してご覧ください。

このイベントの告知ページはこちらですBaBaQueの詳細記事はこち

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BaBaQueDiffractionは発売されたばかりです。このイベントに参加できなかった人も悲観する必要はありません。CDはいろんなところで売っています。名指しでご購入を!グッドラック!

 

 

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